最後の石風呂を囲む会。



最後の石風呂を囲む会へ行ってきたご報告です。




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石風呂は800年の歴史 




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8時前から作業を開始。

木戸を外す。 40~50kg。

枝木は1日に15束〜しよう。

15分くらいものすごい炎が立ち火成岩を暖める。

熾火を取り出し、入浴者の使えるように火鉢に移す。



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夜9時に営業終了

深夜12時まで片付けがある。

朝8時から夜12時まで

毎日、60年続けてこられた。





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アマモの刈り取り、夏の瀬戸内の風物詩だったけど、今年の夏でその最後の姿となった。




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農家が冬の仕事として薪を作った時に出る枝木が焚き物に。

しかし、冬に枝木を縛る人もいなくなった。今では80代の方が主力で縛ってる。


薪をつくり、枝木を縛った後の山はとても美しい。

岩風呂があることは、山も海も大切にすることに繋がっていた。


生活史や文化を繋ぐこと。


岩風呂がなくなることは、沢山のつながりで成り立っていた生活史や文化が失われること。


忠海の石風呂は戦時中に毒ガスを作ってた大久野島へ渡るための船を隠してた穴を利用して作られた。

毒ガスを作ってることは機密中の機密。島自体が無かったことにされてた。

そんな悲惨な戦争の象徴たる場所を、みんなの憩いの場所へ転用して石風呂となった経緯がある。



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アーサー・ビナードさん登壇。



みんなお母さんのお腹の中で育ち、出てきた。

そんなことを思い出すような気持ちになる。





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石風呂の歴史に詳しい人の話。



忠海出では石風呂は200年前から始められてたと思われる。


陸軍の船舶部隊  固い岩盤を掘って船舶を。  転用して石風呂に。

山紫水明       山紫水白   忠海の風景  山があり海があり、本当に美しい。





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稲村さんの話


幸崎の生まれの海運業をされてたお父さん。

海運業をやめて、当時の繋がりで大阪の府会議員の人の実家の周りの世話をしながら暮らしてた。 そこが今の石風呂のあたり。

何か食いぶちはないかと話してた時に、忠海のほら穴を利用して石風呂ができないかという話になった。


最初はただのほら穴だったから、満ちた時に海に沈まないように埋め立てたり道を渡したり。

そして石風呂の知識がある人に聞きながら開業した。




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最初は真夏しか取れないアマモを生で使用してたけど、年中営業するためにアマモを乾燥させて、使用する時に海水を浸ませて使用するようになったのが今の形態。


お客さんからあんたは2代目だ、長男だからしっかり頑張れよと言われて育ち、高校を卒業する時には就職先は決まってた状態。


当初は枝木は農家さんが買ってくれと持ってきてたが、枝木が集まらなくなった。

枝木を買いに走ったけど集まらないので、ガスを配置して焚いた時期もあった。

でも、天井はまあまあの温度に達したけど、室内がちゃんと温まらない。

下はぬるいと言われ、つまらんことに。


やっぱり石風呂は薪で焚かないといけない。


でも、枝木の束を作るのは難しい。本当に集まらない。

2人で一生懸命縛っても1日に15~20束。  なかなか作れない。


ムシロも、親父さんの代は藁をあんだムシロが販売されてたけど、それもなくなった。

お客さんに話すと、情報が手に入り九州の方まで買い出しに。



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アマモ、だんだんと藻場が少なくなってきた。  

アマモの取り方を聞いたり見よう見まねで真似して、今の形態に至る。


朝、履いた地下足袋を寝る直前まで履いていた親父さんの姿を見ていたから、自分も頑張れたのではないか。




質問    地震で崩れたことはなかったのか?


ANSER   石風呂の中のドラム缶がビーンとなった。 それだけだった。

 でも、鉄塔に雷が落ちた時は家の中の柱から火が出たし、風呂に入ってる人は床に火の玉が走ったと言う。



質問   お礼が言いたい。  腰痛が五ヶ月で治った。それから15年通ってる。感謝!


ANSER   ワシの腰や膝ももー少ししたら治るかな笑    でも、自分の長男には、枝木を買いに集めることをさせたくなかった。  



岡田   あと営業は1週間ある。  その時に、また稲村さんに想いを伝えてもらえたらと思う。



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最後の石風呂を囲む会。



最後の石風呂を囲む会へ行ってきたご報告です。




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石風呂は800年の歴史 




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8時前から作業を開始。

木戸を外す。 40~50kg。

枝木は1日に15束〜しよう。

15分くらいものすごい炎が立ち火成岩を暖める。

熾火を取り出し、入浴者の使えるように火鉢に移す。



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夜9時に営業終了

深夜12時まで片付けがある。

朝8時から夜12時まで

毎日、60年続けてこられた。





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アマモの刈り取り、夏の瀬戸内の風物詩だったけど、今年の夏でその最後の姿となった。




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農家が冬の仕事として薪を作った時に出る枝木が焚き物に。

しかし、冬に枝木を縛る人もいなくなった。今では80代の方が主力で縛ってる。


薪をつくり、枝木を縛った後の山はとても美しい。

岩風呂があることは、山も海も大切にすることに繋がっていた。


生活史や文化を繋ぐこと。


岩風呂がなくなることは、沢山のつながりで成り立っていた生活史や文化が失われること。


忠海の石風呂は戦時中に毒ガスを作ってた大久野島へ渡るための船を隠してた穴を利用して作られた。

毒ガスを作ってることは機密中の機密。島自体が無かったことにされてた。

そんな悲惨な戦争の象徴たる場所を、みんなの憩いの場所へ転用して石風呂となった経緯がある。



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アーサー・ビナードさん登壇。



みんなお母さんのお腹の中で育ち、出てきた。

そんなことを思い出すような気持ちになる。





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石風呂の歴史に詳しい人の話。



忠海出では石風呂は200年前から始められてたと思われる。


陸軍の船舶部隊  固い岩盤を掘って船舶を。  転用して石風呂に。

山紫水明       山紫水白   忠海の風景  山があり海があり、本当に美しい。





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稲村さんの話


幸崎の生まれの海運業をされてたお父さん。

海運業をやめて、当時の繋がりで大阪の府会議員の人の実家の周りの世話をしながら暮らしてた。 そこが今の石風呂のあたり。

何か食いぶちはないかと話してた時に、忠海のほら穴を利用して石風呂ができないかという話になった。


最初はただのほら穴だったから、満ちた時に海に沈まないように埋め立てたり道を渡したり。

そして石風呂の知識がある人に聞きながら開業した。




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最初は真夏しか取れないアマモを生で使用してたけど、年中営業するためにアマモを乾燥させて、使用する時に海水を浸ませて使用するようになったのが今の形態。


お客さんからあんたは2代目だ、長男だからしっかり頑張れよと言われて育ち、高校を卒業する時には就職先は決まってた状態。


当初は枝木は農家さんが買ってくれと持ってきてたが、枝木が集まらなくなった。

枝木を買いに走ったけど集まらないので、ガスを配置して焚いた時期もあった。

でも、天井はまあまあの温度に達したけど、室内がちゃんと温まらない。

下はぬるいと言われ、つまらんことに。


やっぱり石風呂は薪で焚かないといけない。


でも、枝木の束を作るのは難しい。本当に集まらない。

2人で一生懸命縛っても1日に15~20束。  なかなか作れない。


ムシロも、親父さんの代は藁をあんだムシロが販売されてたけど、それもなくなった。

お客さんに話すと、情報が手に入り九州の方まで買い出しに。



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アマモ、だんだんと藻場が少なくなってきた。  

アマモの取り方を聞いたり見よう見まねで真似して、今の形態に至る。


朝、履いた地下足袋を寝る直前まで履いていた親父さんの姿を見ていたから、自分も頑張れたのではないか。




質問    地震で崩れたことはなかったのか?


ANSER   石風呂の中のドラム缶がビーンとなった。 それだけだった。

 でも、鉄塔に雷が落ちた時は家の中の柱から火が出たし、風呂に入ってる人は床に火の玉が走ったと言う。



質問   お礼が言いたい。  腰痛が五ヶ月で治った。それから15年通ってる。感謝!


ANSER   ワシの腰や膝ももー少ししたら治るかな笑    でも、自分の長男には、枝木を買いに集めることをさせたくなかった。  



岡田   あと営業は1週間ある。  その時に、また稲村さんに想いを伝えてもらえたらと思う。



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